バッキンガム郡 (Buckingham County)
バッキンガム郡はジェームズ川の南岸にあり、バージニア州の地理的重心にある. 1761年5月1日に、アルベマール郡南部が分離して設立された. 郡名はイギリスのバッキンガム公(バッキンガムシャー)から来ていると考えられる. ある説では、ウィリス・クリーク沿いにあるアーチボルド・キャリーの荘園「バッキンガム」から採られたとしている. アメリカ合衆国では唯一のバッキンガム郡である. 1778年、ジェームズ川に挟まれる小さな三角地帯がカンバーランド郡に渡された. 1845年、別の部分からアポマトックス郡の北部が作られた. 1860年、バッキンガム郡とアポマトックス郡の郡境が調整され、バッキンガム郡は現在の領域になった. 1869年、火災によりトーマス・ジェファーソンが設計した郡庁舎が焼失し、郡の初期記録の大半も失われた. 19世紀、郡の大半は大型農園だったが、タバコの栽培から混合農業とパルプ用木材の生育に転換が進んだ. 広大な土地が、パルプ用材や他の木材を製紙工場や木工品製作者に売ったウェストベイコのような会社に属していた. まだ田園部が残り、釣りや狩猟のようなレクリエーションにも使われた. 郡内にはバージニアの歴史最初期に先祖を遡れるような家族がいる. 多くの家族はその先祖が払下げを受けた広大な土地に今も住んでいる. これらの土地は18世紀初頭に、郡の西部に最初に入植したフランス人ユグノーに与えられたものだった. 南北戦争の最終盤、ロバート・E・リー将軍の軍隊が、アポマトックスに撤退する途中で郡内を通過した. ニューカントンにあるトリニティ長老派教会墓地の標識には、「トリニティ長老派教会とこの町に伝わる口承では、この教会背後の集団墓地に45人の南軍と北軍の兵士が眠っている. 彼らは降伏後にアポマトックスを離れ、ここから北の故郷に向かっていた. 彼らは病気となり、近くの宿営地で死んだ. 彼らのことを忘れないために、エリオット・グレイズUDCチャプター1877号がここに銘板を据える. 2003年」と書かれている.
地図 - バッキンガム郡 (Buckingham County)
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国 - アメリカ合衆国
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アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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